【脱サラリーマン】私が柔道整復師へ転職したきっかけと理由

※写真のモデルはイメージになります。

今回の柔整ドットコムのコラムは、私鈴木が担当したいと思います。

現在私は柔道整復師として、日々患者さまの施術を行っておりますが、もともとは普通のサラリーマンとして一般企業で働いて、そこから心機一転、脱サラし柔道整復師となりました。

簡単ではありますが、柔道整復師になった経歴やきっかけ、その理由をお伝えできればと思います。

サラリーマンとして企業に就職を決める

私の就職先はごく普通の一般企業でした。

バブルが弾け「就職氷河期」として就職難や内定取り消しが多かった時期での就活でした。

そのため「数打では当たる」の戦法で、とにかく片っ端から企業へ応募し面接を受けてました。

そのとき私をかなりご評価いただいた企業に巡り合い、その後入社しました。

入社後その会社は、ホワイト企業を通り越して、かなりゆるい会社でした。

まだ若い私は、その状況に物足りなさや不安を感じていたのに加えて、会社内で派閥抗争が勃発し、私を可愛がってくれていた先輩方がその抗争に負けてしまい、私も居辛い状況となりました。

ちょうどそのころ、私が営業として担当していたとある企業が、私のことをとても評価してくださっていたので、思い切ってその企業へ転職を決意しました。

しかし、私からしてみると企業はどこも同じに思えます。

世に言う「縦社会」で、どんなに間違っていたとしても「上からの命令は絶対」というような感じです。

私の性分上、頑固なところもあるのですが、自分に嘘は付けない性格のため、自分の中では正解であっても、みんなの正解(会社的な正解)は逆になることが多々ありました。

そのうち、これ以上サラリーマンを続けるのは少し厳しいかなと思うようになりました。

それでも我慢し、ずっと同じ感じで歳だけを重ねていくのかと鬱々した日々が続きました。

毎日悩んでいたあるとき、子どものころに「読売巨人軍の江川選手が鍼で肩が上がらなくなって引退を決めた」といった内容の記事を読んだことをふと思い出しました。
(※実際にそんな危険なツボはありませんし、施術者側もそんな危険な施術行為は行いません!)

それからは、

  • そもそも「鍼灸師」とは何か
  • どうやったら「鍼灸師」になれるのか
  • 「鍼灸師」なるために必要なモノは

などを調べましたが、鍼灸専門の学校へ入学、卒業するまで3年は掛かる、学費も数百万円ほど掛かるためどうするか、などでいろいろ悩みました。

ちょうどそのころ、とある整体の学校がキャンペーンをやっていて、学費は鍼灸学校の1/10以下であることに驚き、思い切ってそこへ入学して、将来は手に職をつけて独立しようと考えました。

しかし考えが甘かったです。

座学の勉強はほとんど無く、テクニックばかりの授業内容です。

私は、何でも基礎の上に成り立つと考えるタイプなので、この整体の学校に不安を覚えました。

とある先輩鍼灸師との出会いが今後の運命を変える

とある先輩から「ここ(この整体学校)は、国家資格を持った上でブラッシュアップのために通うところ」ということを言われました。

この先輩は、はり師・きゅう師の両国家資格をすでに持った状態で、整体の学校に通っています。

その言葉に感銘を受け、鍼灸学校へ通うことを決意し、お金のことも腹を括りました。

また先輩から「もし今後柔整の資格を取るつもりなら、そちらを先にした方がいいよ」とも言われました。

柔整資格が国家資格であること、昔は「ホネツギ」と言われてた等、そのとき初めて知りました。

街中で「ホネツギ」という看板を見たことはありましたが、「傘の骨部分を直すのかな」と勝手に思い込んでいたことを今では恥ずかしく思います(笑)

そもそも ” 柔整” ってなんだろ・・

そう思っていろいろ調べてみると、「外傷に強い」というワードが目に飛び込んできました。

私は元々スポーツもやっていたので「外傷」という言葉は身近に感じます。

さらに、柔整は関連学校が増えすぎたため、国家資格合格者の人数を減らすために、年々問題が難しくなっていると聞きます。

今すぐこの資格を先に取らなければ!

と考えが変わり、早速柔整師を目指す事になりました。

苦戦した東京都内の柔整学校

東京にはいくつもの柔整師を養成する学校があるのですが、なんせ当時はバブルが弾けた直後で、みんなが“手に職が必要だ”と言っていた時代です。

頭の良い現役学生や、私のような将来を見据えた社会人、学生等、日本全国から東京の学校へ受験しに来ていました。

倍率も高かったからか、私も4~5校ほど受験しましたが、まったく受からない…

そんなとき、先程の整体学校の先輩に相談したところ、

「東京都ではなく、あえて他の県か、地方の学校は?」
「国家資格なんだから、資格さえ取ってしまえば、どこを学校に通っても同じよ」

と言われました。

今まで私の頭の中には「東京の学校」ということしかなかったので、鈍器で頭を殴られたくらいの衝撃が走りました。

しかし、先んじて会社には退職届を出してしまっていたので悠長な言ってられません!

先輩の意見を受け入れ、東京ほど倍率が高くない、とある地方の学校を受験し無事合格しました!

ここから私の人生の再出発が始まります。

「柔道整復師」という仕事と、先輩柔道整復師との出会い

学校合格後、卒業後のことを考えて、1日でも早く仕事内容や技術を覚えたかった私は、迷わず近所の整骨院でアルバイトを始めました。

その整骨院では、柔整師の方や鍼灸師の方が多く在籍してました。

しかし、そこで私が主に行ったことといえば、施術用の電気機器を患者さまから取り外しや、使用済みタオルの洗濯、そして受付や電話応対、フロア掃除など…

患者さまに触らせてもらえる機会なんてありませんでした。

それはそうです。

法律上、無資格の人間が患者さまへ施術することは違反、ご法度なのです。

洗濯して干す、洗濯して干す、洗濯して干す… この繰り返しで、本来室内仕事なのに気がつけば私1人だけが日焼けしてたのを覚えています(笑)

このままでは知識は得られても技術が上がらない…

そう考えた私は早速行動に移し、「お昼休み」の時間帯に目を向けました。

お昼休みの間、ご飯を食べたり、スタッフは昼寝をしたり、好きなことをして午後に備えるのが普通ですが、私にとっては患者さまに触れられない、施術ができない分、先輩方々(ほぼ年下ですが‥)にお願いして技術を教えてもらう唯一の時間帯です。

私が年上のせいか、可哀想だと思ったのか分かりませんが、嫌な顔する先輩は誰もいませんでした(笑)

整骨院で働くメリットは、先輩方々に臨床のことや、学校の授業でわからないことを聞けることだと思っていて、これは座学で学生同士で勉強するよりずっと身になると思ってます。

そのため、柔整学校での学生期間中に、コンビニやスーパー、短期バイトなどで働かれる方の気持ちがわかりません。

自分の場合は3年間の学生期間でしたが、3年分の現場技術・知識は、社会に出てから大きいと思います。

私の覚悟と決心

社会人となってからの再挑戦になるため、現役生とはアドバンテージがあると思っていました。

そのため、1日24時間365日、身体に関わることに触れようと決心しました。

それでないと、現役生に追いつけないからです。

アルバイト先は、治療院か整形外科、それが終わったらフィットネスクラブ(市区町村が運営するジム)で、学校もアルバイトもお休みの日は、近所の高校のアメフトチームでトレーナーの勉強をさせていただきました。

とある柔道整復師との出会い

鍼灸学校の卒業間近なとき、先輩からのメッセージとして、とある方が教壇に立たれ話し始めました。

その方は柔整師の資格を取得し、当時のサッカー日本代表選手のパーソナルトレーナーとして海外を転々とされてる方でした。

実はその方、私と同い年。

私と同い年の方が、すでにこんなに活躍されてるのかと衝撃を受け、悔しさと悲しさと、情けなさ、尊敬など、さまざまな感情が入り乱れたのを覚えてます…

でもそんな事は言ってられません!

私は講義が終わったあと、速攻その方の連絡先を聞き、その方が勉強会をやると知れば、何よりも優先して行きました。

あるとき海外で研修会をやるということで、その方は一緒に行ける方を募っていました。

他の同級生の皆さんはすでに就職をしていて休めないとのことです。

私もこのときすでに整形外科で働いてたのですが、この方に付いていく決心をしていたので整形外科をクビになってもいい覚悟で参加表明しました!

結局、私しか参加表明していなかったため、この研修会自体が立ち消えになってしまいましたが、私の情熱が伝わったのか不憫に思ったのか、「今度北海道で日本を代表する整形外科学会が3つも集まるイベントがあるから一緒に行かないか?」とご提案をいただき、私は二つ返事回答しました。

そのイベントは数日に渡って開催されます。

つまり、数日間その方と2人で行動出来るチャンスが来たのです。

その学会では、有名な医師の話が聞けるし、トレーナーは独占出来るし、スペシャルゲストにサッカー元日本代表監督のオシム氏で、私にとっては夢の数日間に思えました。

こういうときに必要となるのは、学校の授業や仕事などで、気になった質問や疑問を貯めておくことです。

私はトレーナーと2人でご飯を食べに行ったときなどでサラッと質問しました(笑)

一方私が勤務していた整形外科ですが、1週間ほど仕事を休んでしまうため、当初お休み打診したときは良い顔はされませんでしたが、クビを覚悟しているのと同時に、その整形外科では指名率1位となっていたので渋々OKをいただきました。

普段からの私の行動と結果、覚悟が伝わったのだと思ってます。

「柔道整復師」になって感じたこと

私自身もはじめは勘違いしていたくらいなので、「柔道整復師」という仕事は、一般の方目線ではかなりマイナーな職業だと思います。

これは今でも変わらないことです。

そのため、私は知らない方に説明する際、「整骨院、接骨院の資格」と説明してます。

これは今後も変わらないのではないかと少しは寂しい気がしますが、柔整師は怪我のプロだと思います。

特に現場での応急処置はどの資格にも負けないと思っています。

これも意外と知られてないです。

これは私の個人的な意見ですが、柔整師は怪我の多いスポーツ現場で、救急搬送や整形外科までの間にもっと特化しても良いのではないかと思います。

そういった方向性に進めば、柔整師はもっと良い資格になるのではないかと思っています。

これから考えや目指す想い

紆余曲折がありましたが、現在は治療院を2店舗運営しています。

併設のフィットネスクラブさんが全国展開しているため、ありがたいことに私のところへ「もう1店舗やりませんか?」とお声を掛けていただきました。

フィットネスクラブさんとの面談時、
「全国制覇する気はありますか?」
という問いに対して、

「はい、もちろんです」
とお答えしています。

しかし早15年、2店舗しか持ててません…。

何度もお声を掛けていただいているにも関わらず前に進めてませんが、それでも私にお声掛けいただくフィットネスクラブさんには、感謝の気持ちと、何とか報いたい気持ちが常にあります。

この課題は、「施術者の不足」が背景にあります。

施術者がすぐ辞めてしまうのです。

私も2~5年の間で整形外科を転々としたため、現在人手不足も相まってとても不安定です。

今後の私の課題は、15年間忙しさにかまけて、スタッフの育成を疎かにしてしまいました。

ただ今後は技術だけではなく、人としての育成にも力を注ぎたいと思っています。


執筆者情報

柔道整復師・鍼灸師
鈴木 忠昭 先生

2003-2013年 整形外科リハビリテーション科へアルバイトを経て就職。
ほぼ同時期に高校アメリカンフットボール部トレーナーさらにJリーグ、アスレティックリハビリテーションの一般トレーナー向け講習会補助に携わる。

2008年より整形外科リハビリテーション科に勤務しながらフィットネスクラブで治療院を開業。
2015年より整形外科リハビリテーション科を退職しフィットネスクラブ内の治療院を継続。
現在2店舗運営し、デーサービスにてリハビリ応援も行う。

その他、商品開発後の評価も行う。

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